俺は平和とか正義という言葉を安易に口にする奴が死ぬほど嫌いだし信用もできない

この時期になると、戦争に関するテレビ番組やらがやたら増えるけど、それに伴って「平和を守るべき」とか「正義を守れ」とか、そういうことを声高に言い出す人をネットとかでやたら目にするようになる。

でも、俺はそういうことを安直に言えちゃう人間が基本的に嫌いだ。

そういう人の全てがそうだというつもりはないが、おおくは「平和とか正義という言葉を口にしておけば、自分は社会的優位に立てるから」という理由で言っていて、その実「思考停止、無関心、面倒からの回避」に依るところだろうと思っている。

こういうことを言うと「不謹慎だ」とか「冒涜だ」とか言われるかも知れないけど、そういう人に逆に聞きたいのが「じゃあ、『平和って何?』『正義って何?』という明確な答えを自分の中に持っているのか」ということ。

平和にしても正義にしても、「誰の視点からか」によって変わる不安定なものだと自分は思っていて、一朝一夕で答えが出せるほどの軽いテーマじゃないとも思ってる。俺も時々(特に今の時期などに)考えるけど、明確に「これだ!」って答えなど見いだせてない。

そもそも、諍いというのはマクロ(国家レベルの戦争とか)・ミクロ(おやつの取り合いとか)に問わず「それぞれの認識の相違」から生じるものなわけで、「それぞれにとっての正義」はあれど、それが逆視点にとっても同様たりえないわけで、自分の感覚だと「正義」を安易に掲げる人というのは「自分サイドがよければそれでいい」「自分サイドの考えを、相手サイドに強制的に従わせることこそが正義であり、平和になる道だ」という考えがベースにあるのだろうと思ってしまう。

「平和」にしたって、「妥協」とか「我慢」とか、そういうものがあって、その上に成り立っているということは少なからずあるわけで。「平和のだめだから、妥協・我慢をしてくれ」って、簡単に言えるものなのだろうかと思ってしまう。

そういうことに対して考えを巡らせて、自分なりの考えを持っている人が「平和」とか「正義」という言葉を口にしてるなら、別に文句もないんだけど、たぶんそのワードを口にしている人の多くはそんなことをきっと考えてない。だとしたら、上で書いた「思考停止、無関心、面倒からの回避」って動機で安直に発言してるんだろうなと思うわけで、そういうのが本当に不愉快なんですよね。

ちょっと前まで、自分の友人でそういうタイプの人がいて、多少は忖度して言わないでいたけど、今はその人とは縁を切ったので、何も憚る必要も無いからはっきり言ってしまおうと思ったりしました。