誰かに何かをして貰うとき、必ず対価が生じるって話

自分は、「誰かに何かをして貰うとき、対価が生じる」ものだと思っています。

「何か」ってのは、金銭とか物品の譲渡や消費もそうだし、行為でもそうですね。そして、それがどれだけ親しい人に対しても、です。

で、「対価」ってのは何かといえば、通常はやはり金銭や物品の譲渡だったり、別の行為で返すってことになると思います。

たとえば

  • お金を借りたからお金を返す
  • 隣人にお裾分けしてもらったから、別の機会にお返しの品を渡す
  • 仕事をしたから給料で返す
  • 商品を購入したり、サービスを受けるためにお金を支払う
  • 仕事の手伝いをしてもらったから、別のときに手伝う

などと言った具合ですね。

で、「対価を返す方法」というのはそれ以外にもあるわけですね。

「感謝する」「褒める」というのがそうですね。

相手がそれで満足すれば、そういったことでも対価を支払うことになったりしますよね。

 

重要なのは、そういった「物品や金銭、労働で返す」でもなく、「感謝したり褒めたりする」という対価すら支払わないとしても、その人が知らないだけで別の対価を支払っているってことです。

何かというと、相手の信用です。

少しずつ消費されて、最終的には不信が積み重なる。

だから、親しい間柄であっても、何かして貰ったら感謝などの意思ぐらいは示すべきだと自分は思います。

 

最近、仕事でも私生活でも感じていることです。

「おごって貰ったり、仕事を手伝って貰ったら『ありがとう』を言う。」

提供する側の人は、案外それだけでも満足するものだったりするんだけど、たったそれだけのことができない人が結構います。

自分などは、誰かに何かをした際に、そんな感じだったりすると「ああ、この人の中では、俺の行為は『してもらうのが当然』だと思ってるんだな」っていう感じになって、割と冷めてしまいます。