自分勝手に振る舞うことを認められるべき自由だと勘違いしてないか?って話

最近、至るところで「〇〇の自由を認めろ」みたいな言説をみかけるけど、「まあ、確かにな」と思うものもある反面、「自分勝手だな、それ」と思うことも多くなってきた印象です。

自分は「社会の構成員である以上、自由は際限のあるものだ」と思っています。

当たり前のことを言うようですが、「他人の家の窓ガラスを割っても俺の自由」「気に入らないやつをボコっても俺の自由」なんてことはありませんよね。

だから、「社会の安定性を確保するため」、言い換えれば「各個人が同程度の自由を得られるため」に、自由はある程度のところで抑制されるべきであるということです。それぞれが際限なく自由を主張することで、他人と干渉する部分が生じるわけですから、干渉が起こらなくなるようにルールがあるわけです。

それが社会の前提だと思うんですけど、最近は「自由」を謳い文句にして、自分勝手に振る舞うことを社会に肯定させようとしているように見える、ということが多く目に付きます。

「自分の自由を認めさせることで他人の自由を奪う」というのが果たして正しいかどうか?まあ、正しいケースもあるような気もしますが、すべてが正しいとは思いませんし、「自由を掲げて自分勝手を通せる」という風潮を作り上げることで、確信的に人の自由を奪うみたいなのも出てきてますよね。

「ジェンダーフリーを掲げた結果、安心してトイレが使えなくなった」とか。

そういうのはやはりおかしいと思うんですが、いずれそれも「おかしいと思うことがおかしい」となるのだろうか。